指導教官

昨日は、我が指導教官が久しぶりに小学生を前に授業をするというので、個人研究で入っている学校さんには朝のうちに授業をさせてもらい、終わるとそそくさとN市に向かって車を飛ばした。
5限が始まる直前に教室に入った。先週参観したM市の中学校とは違い、やはり小学校は指導教官のホームということもあってか、授業の入りからテンションを上げた状態での授業であった。軽快なリズムと巧妙に練り上げられた授業構成に「さすが!」と思うことがしきりにあった。
 以下、自分の感じたことを羅列して書いていく。

1.映像資料の使い方
昨日の授業も先週の授業も内容は「言葉のチカラ」であった。
そして、その両方の授業の中に、(株)AKE-SUKEの社長が作成した映像を巧みに入れていた。
先週の授業は、発問として授業の中盤に映像を流した。昨日の授業は導入の場面で流した。出てきた内容は「Dゴン・B-ル」。始めに見たときは、「マンガを導入に使うのはどうかな…。」と考えていたが、子どもたちは一瞬にして引き込まれた、エピソードとマンガに一コマ、映像を巧みに組み合わせて子どもたちにリズムよく提示されていた。そのこともあり、はじめは乗り気でなかった児童も体を前のめりにするほど食いついていた。
やはり、映像は使い方が重要だと思う。その映像を授業のどの場面で入れると一番有効なのかを突き詰めて、吟味しての導入だったのかなと感じた。指導教官の狙い通り、導入で行うことで児童の意欲の喚起につながっていた。

2.ほめ言葉のシャワー
 指導教官はが45分の中に一貫して行っていたことが“ほめ言葉”のシャワーである。
 「もう2つ目を考えているね。」
 「話し合うときに額が寄ったね。いい話し合いをし  ている証拠だね。」
 「書くときに、左手で紙をしっかり押さえている。  いいね〜。」
 「すばらしいね。」
 「ちゃんと○○さんの方を向いて、話が聞けてい   る。すごい!!」
 「いい姿勢で話が聞けているね。すばらしい!!」
などなど…。
とにかく、数えたらきりがないくらいたくさんの言葉をかけていた。しかも、具体的な行為に注目することによって、その活動における適切な行為が具体化され、児童たちに可視化されて、価値づけられていく。
これが「非丼(ヒドゥン)カリキュラム(?)」ということであろう。皆さん、解釈は間違っていませんか?違っていたら、指摘してください。
もっと大事なのは、ほめ言葉のシャワーの中に、指導教官の大切にしている「哲学」がはっきりと表れていることだ。例えば、プリント配布し、それが足りなかったとき、子どもが席から「足りな〜い」と言うと、指導教官は子どもたちに、「自分たちの良いと思ったことをやりなさい。」と言って行動を促した。幾分かの沈黙の後、持っていたプリントを足りないと言っていた児童に自分のプリントを渡した児童が出てきた。その子がプリントを先生のところまで取りに来たとき「すばらしい行動だね〜。拍手!!」と言って、全員の前で全力の拍手で、その行為を認めていた。
 もちろん、「児童の適切な行為を見逃さない」ということも哲学の一つであるが、「何か問題が起きたときに、主体的に行動するように鍛える(育てる)こと」も先生の中の哲学にあるのだろうと感じた。
 とにかく、哲学がはっきりしているから、児童の活動に対する見取りの視点がブレず、一貫した指導をなすことができる。これは簡単なことのようで、実は意識していないとできない「見えども見えず」の面を含んでいる。この視点がないと、児童を教師の考える目的地に導くことができない。
これをあっさりとやってしまうところが達人技である。自分はその何分の1ができているかどうかというお粗末ぶりである。ただ、確実に授業を見るときの視点は増えていると思うが…。

3.教師の「表情」が持つチカラ
 先生の授業で一番印象的であったのが、「表情」である。2学期に行っていた学校支援プロジェクトでは、教師の表情が児童に与える影響の大きさを非常に強く感じた。教師がにこやかな表情で子どもたちを見つめることで児童たちに与える「安心感」の大きさは計り知れない。また、その逆もある。昨日の先生の授業は先生のあたたかさがにじみ出るような表情が、飛び込みで入った子どもたちに大きな安心感を与えていたと感じた。終始先生が笑顔でいたので、その分「私の話を聞いてほしい」という時の真剣な表情がより際立ち、児童の真剣さ一段と高まったように感じた。先生の表情…大事だなぁ。鏡に向かって要練習だなぁ〜!!


4.協同学習の要素を取り入れた授業構成
 今、私は「協同学習」の理論に基づいた「アベック学習」、もとい、「ペア学習」について研究したくて、現場での実習に入らせていただいている。私は国語で入っていて、2つの学年で全く児童の実態が違う状況で授業を行っている。
一つは、反応のいいクラス。
もう一つはいわゆる「高学年女子」の一歩引いてなかなか芳しい反応を示さないクラスである。
こうも対照的な2クラスに対して試行錯誤を繰り返している(これがまた、本当に悩ましい…)。
 それは後日、詳細に記すつもりだが、先生は飛び込みのクラスに対して、「個人思考」→「ペアで考えを伝えあう」→「グループによる拡散の協同場面」→「グループによる収束の場面」をすべて授業の中に網羅していた。それだけ、巧みな授業構成であったということだ。自分はまだまだ未熟だなと痛感させられたほどだ。
 今、実習に入っている学校もいわゆる「少人数」による「対話」を用いた授業形態を校内研修を行っているため、ローカルトーク(仲良しグループによる)やおしゃべりなどコミュケーション量は非常に豊富であると感じた。(反応は芳しくない「高女」の子たちも、学習となれば自分の考えを書いたりすることはできるので、T-Cとの関係性の問題なのかもしれない…ということはたった2日で高女を見限られたということか…!?)。
と、まぁ〜これは推測の領域を出ていないのでこの辺にしておくが、「教科の中で、自分一人では解決できない問題を協力して解決することを通して、人間関係をも育む」ことを狙いとした「ペア学習」がきちんとした形になるためには、この実習が占める度合いは大きい。

最後は自分のことに話が飛んでしまったが、とにかく、終始、勉強になることだらけの研修であった。帰り
は疲れがありながらも興奮しきりで家路に着いた。今日の授業に参考になることもたくさんいただけた有意義な気持ちでいっぱいだった。
日々の学びの量が多くて消化不良を起こしそうである。