「たて」のいと

昨日の実習日誌をアップし忘れたので、今日アップした。昨日の気持ちに戻って読んで下さい。

3月10日(木)
今日は、実習校での授業参観があるので朝学習なしの臨時校時が組まれていた。1限に3年生、2限に5年生で授業を行わせていただいた。
3年生…この学年とのT-Cの関係性は良好。支援の時と同じ感覚で授業を進めることができた。導入では、前時の記憶の再生活動を行い、本時のめあての確認、個人思考、ベースグループでのペア学習、全体での確認、改善の手続きとすべてを取り入れることができた。ただ、改善の手続きにもっと時間がとれるように、時間配分はしたいと感じた。その点では非常につたない授業であった。本時のめあては「空色の花畑で家族と会えたちいちゃんは幸せだったかそうでなかったかを考えて、自分の考えとその理由をベースグループの友達に伝える」ことであった。子どもたちの多くは「家族に会えたから幸せだった。」としたが、指導書にはその程度の読みにしないように配慮することが明記されていたので、逆の意見が出ることを想定して、授業を行った。結局、全体で5人だけ「ちいちゃんは幸せではない」と考えていた。しかし、たった5人とはいえ、「こんな小さくして死んでしまったんだから幸せではない。」というまっとうな考えが出た。子どもたちをもっと揺さぶりたかったが、時間がなかったこともあり、オープンエンドにして授業を終了した。ちいちゃんが「空色の花畑」にいくことで悲しい安らぎを得たことが幸せかどうかは授業者が決めることではなく、読み手である私たちがどのように受け取るかである。ただ、読解上は白黒をはっきり付けなくてはいけないような印象がある。この問いをどう扱うかは難しいところであるが、今後の課題にしていこうと思う。
5年生は、昨日行った「大造じいさんとガン」のテストの返却を行った。返却中に「これって、大造じいさんの気持ちを想像して読むんだから、想像して書いてあれば良いんじゃないの〜。」という不満に満ちた声が聞こえてきた。高女コンビである。彼女たちは私に聞こえるか聞こえないかくらいの声量でひとしきり文句を言い続けていた。私はそれに取り合わず「それについては後で話すから、とりあえず席についてね。」といって席に着かせ、テストの解説を行った。一応、授業者なりの基準があるのでその基準を話すと子どもたちは誰一人として表立って文句は言わなかったが、終始こそこそしていた。私は、それに目もくれず(…一応、不適切な言動に注目しないという意図)ずっとテスト解説を行っていった。こんな時、「ピンクの本」の著者であるお師匠様はどう対応するのだろうか。きっと、とてもうまくやるに違いない。私のような超ド級の凡人には、その目的は分かっていても、それについてどのような具体的な手立てを打てばいいかを悩んでしまう。目的論でいくとやれることは分かるはずなのだが、「高女」相手にまず関係性を好転させる一手となるとどういう行動ならできそうなのかが難しい…。自分自身が必要以上に萎縮している面もあるのかもしれないが、自分の至らなさを痛感し、自己肯定感が急激に下がった心持ちがした。