今、私たちにできること

今日、3月29日。
お師匠様が立ち上がった。お師匠様の盟友T先生とタッグを組んで、
震災復興支援チャリティーセミナーを行ったのだ。

自分にできることは、このセミナーに参加して、募金をすることくらいである。できることはやりたいし、それが自分の学びにもつなげられる。

今日のセミナーはお師匠様とT先生の45分の講座が2セット。
お師匠様もT先生もいつもよりエネルギッシュに見えた。
もともと、エネルギーに満ちている方々ではあるが、今日は何か特別な“何か”に突き動かされているようにも見えた。

T先生は、ミニネタを中心に滑り知らずのネタを連発していた。
真空ポンプや国旗のひみつ、地図のひみつなどを紹介して下さった。
それぞれのネタの合間合間に、児童の適切な行動を見逃さないこと、“感謝する”児童を育てるための「哲学」も入れていく。

お師匠様は、4月からの学級づくりについて日常とちょっとした非日常を織り交ぜながら、クラスを「群」→「団」にする道筋を紹介して下さった。

2人のお話を聞いていて感じたのは、
①2人ともクラスの目的地が端的な言葉はっきりと示されていること。
②そのための戦術・戦略も児童の具体的行為像がはっきりしているので全くぶれることがないこと。
③聞いているこちらが、具体的行為像をイメージできるぐらい具体レベルまで落とし込んでいること。
④はっきりと具体化された行為像があるから、「毅然」と子どもたちに指導していること。

2人を見ていて、自分の中の「毅然」の意味合いが変わってきた。
お師匠様のプレ授業を受けたときも感じたが「毅然」の意味を間違えないことが大切である。
児童たちを育てるために自分の哲学を持ち、ぶれずに指導し続けること。
しかし、その裏には先生と子どもとの間に強烈な信頼関係(タテ糸)をきっちりと紡ぐことが必要である。

意外とここが語られることは少ないため、そのままやるとやけどしてしまうことがある。

そうそう、ヒドゥンカリキュラム(肯定的ノーム)、非丼でも、非鈍でもないヒドゥンカリキュラム…このくらい繰り返しお師匠様も言っていた。
よくフィルターに引っかからなかったなぁ…。

ヒドゥンカリキュラムの部分も磨いていく必要性も感じた。あと1年の大学院生活。
今、生かされている「命」に感謝しながら、未来を創る子どもたちを育てられるこの職業につけていること、今まで「あたりまえ」だったことが実は「ありがたいこと」であることを噛みしめながら学んでいきたいと思った。

「頑張ろう、日本!」

そういえば、カズも今日のチャリティーマッチでゴールを決めたなぁ…。
お師匠様もT先生もカズも本当に脅威の40代だ。

「自分も、頑張ろう!!」