ソウイウモノニ ワタシハナリタイ・・・
授業「やまなし」も佳境に入ってきた。昨日・今日とTEAMの皆さまにたくさんの後方支援をいただき、何とか毎日の支援に向かうことができています。本当にありがとうご恕いますm(_ _)m
さて、こんなに与えていただいてばかりの自分が今日引っかかった言葉
「魅は与によって発し、求によって滅する。」
これは、ビジネス用語(?)らしく、管理職が部下への接し方を表すときに使う言葉なのだそう。
「俺のやり方でやれば、きっとうまくいく。だからやれ。」と自分のやり方を「求」めては部下はその上司にはついていかない。
むしろ、上司が部下に「こんなやり方もあるよ〜。自分のやり方もいいよ〜。自分がうまくやれそうな方でやってみればいいよ。後は俺が責任を取るからさ〜。」くらいの態度でいる方がきっと部下とうまくやっていけるのだろう。
教師にしてもそう。職員室内の人間関係。そこには立場や経験年数の違うメンバーで構成されている。
だからこそ、「与」えることで魅力ある人間を目指していきたいなと思った。
さ〜て明日もあるし、寝よう寝よう。
お疲れ様でご恕いました。
今日はU中部の研究発表会に参加した。中学生のすばらしい姿を見ることができたとてもいい会だった。
多くの参観者を前に堂々そしていきいきと学んでいく子ども達。そして、その子ども達のパフォーマンスを引き出す授業者の先生方。そして、私たちに学ぶ場を提供して下さったU中部の職員の方々。
そして何より、最後方の裏方に周り、会の成功のために夏からずっとコストを掛けて支援を続けていたj-minaraiさん、shigotoninさん、ゼミちょのTEAM U中部の皆さん。
それこそ、日々「恕」の毎日だったことであろう。それでも日々前向きに支援に入られる姿や時には陰となり日向となりながらも誠実に支援に取り組む姿からたくさんのことを学ばせてもらった。
今度は自分たちY小の番だ。本番まであと2週間。やれるだけのことはやっていこう。
TEAM U中部の皆さん。本当にお疲れ様でご恕いました。
恕
まだ、鳥取のまとめはしていないが昨日のS小の研究会での教科調査官S氏のから教わった言葉。
どうやら、論語に出てくる言葉のようだ。
以下、引用
〔読み下し〕
子貢問うて日く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。子日わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
〔通釈〕
子貢が、「人として一生涯貫き通すべき一語があれば教えて下さい」と問うた。
孔子は、「それは恕、つまり相手の身になって思い・語り・行動することだ!」と答えたが、子貢には難しいと思ったのか、言葉を継いで「自分が嫌なことは人に仕向けるな!」と云った。
引用終了
これを読んでふと頭をよぎった言葉…「共同体感覚」まさに孔子も同じことを言いたかったのではないかと思った。
孔子もアドラーもやはりすげーことを言う人は違うなと思った。
今日も1日、「恕」を意識して過ごしました。
F先生の魅力
支援校でお世話になっているF先生。
子どもたちはもちろん、スレートマスターの院生みんなが憧れるほどの魅力満載の先生。
自分が現職の身でありながらこのクラスに入らせていただいているのが、いささか申し訳なく感じる。
昨日は、学部生が6年生の教室にやってきた。子どもたちの前で学部生全員が自己紹介したあと、子どもたちが「いい気分・感謝・ほめ言葉」をやっている間にF先生は学部生一人ひとりに声をかけていた。
「学部3年生?9月は実習だったんでしょ?ご苦労様。」というように初対面の学部生にもにこやかにさわやかに話しかけていた。そのおかげで学部生は6年生の教室にいごこちの良さを感じたそうだ。
これがF先生の学級経営の根幹なのかもしれないと思った。F先生はよく学年部会で「やっぱり関係性を作るためには『自己開示』が必要でしょ。」とお話になる。
自分から積極的に話しかけにいくこともするし、話を聞きにいくこともする。これが子どもたちを安心させ、ほっとさせる。
気がつくとみんなが笑顔になっていて教室に温かさに包まれるのだ。
また、F先生は喜怒哀楽を表情と態度で表現されるのが非常に上手である。
笑うときは子ども以上に手を叩いて大爆笑するし、叱るときは、体中から『氣』を発して叱る。
その姿は言葉は悪いかもしれないが、とてもすばらしいパフォーマンスである。
その姿に魅きつけられた子どもたちは、F先生の一挙手一投足に目を輝かせて見入っているのだ。
何とも言葉にならない部分は多いが、実際に教室に来た方々は皆教室の雰囲気の良さ、いごこちの良さを感じられるようだ。
かくいう私もすっかりF先生のクラスの一人になっているように感じる瞬間がある。
今年は違った意味で学ばせていただける機会が多い。私もF先生のようになりたいと思うが、自分はF先生になれない。だから、今支援に入らせていただけている間にF先生から学べるところは学んでいこうと思う。
非鈍?
やること山積みで休日返上で院生室にこもっている。
今、e-boxを書くために自分の授業ビデオを見る苦行(もうすっかり慣れてしまったが…)中。
先週授業をしていてずっと気になっていたこと…授業中の子ども雰囲気が固い。
特に自分がインストラクションなどで話しているときにそれを感じた。
自分なりにその要因を考えてみると…
・表情の硬さ。
・授業中の立ち居振る舞い
・授業者TとCの関係性(距離感)
・インストラクションの時間が長い(感想紹介を含めて9分)
・インストラクションの内容が児童に伝わっていない。
・インストラクションで価値の部分を強く語りすぎ、児童が期待を持てるような語りが少ない。
・ヒドゥン・カリキュラムで厳しさを出している(?)。
6年生の子どもたちは活動に入ると一気にコミュニケーション量が増えるので、できるだけ始めに緊張感のある雰囲気を作りたくないのだが、そうなってしまっていることを考えると自分の未熟さが大いにあるのであろう。
それにしても、自分がどう変われば子どもたちの雰囲気がよくなるのか…。
決定的な原因はもっといろいろな方から授業を見ていただいてご批判いただくことが必要だろう。まずは、チームメンバーのみなさんに聞いてみようと思う。