F先生の勇気づけ

今週も学校支援が終わった。
F先生は私が拙い授業を見せても、失敗しても笑顔でこう言ってくれる。

「何があっても、あんたの信頼は揺らがないから。」

支援に入って2か月。ずっと張り詰めていたものが一気にゆるめられた一言だった。
この言葉をいただいた時、思わず泣きそうになってしまうくらいほっとした。

コメンテーター

今日から(本当は2週間前から始まっていたのだが…)お師匠様のお師匠様の学部授業に科目履修生として参加させてもらうことになった。


ゼミを終え、すぐさま教室に向かうと学部3年生が数人いて、物珍しそうにこちらを見る。


今日の授業では「出会いの場面の子どもたちへの話」を全員が実演すること。自分はそのコメンテーターを仰せつかっていた。


お師匠様のお師匠様が来て、自分の紹介をして下さった。「現職の先生です。」と言われた瞬間に「えぇ〜!」という声。


それはそうだろう。彼らにしてみれば自分は指導される(と本人たちは思っている)相手なのだから…。


決して自分ではそう思っていないが、逆の立場だったら自分も同じことを考えていただろう。

しかし、学部生のみなさんのお話は本当に上手で、自分がその年の頃には話すことが出来ないことを話す姿に「“くげぇ〜”なぁ…。」と思いながら見ていた。


コメントを求められてもいいところしか浮かばない。それでは、呼ばれた意味がないので「自分だったらこんなふうにします。」という話をした。


自分がコメントする立場が初めてだったのでとてもいい学びになった。


しかし、前に北海道のH先生がおっしゃるように「こういうのは、コメントする立場の方がプレッシャーがかかる。」というのは本当だな…。


自分も次の学校では、そんなお役目をいただくのだろうか…。


自分はいつも下っ端でしかなかったので、そんなお役目をいただくには修行が足りていないのだが…。とにかく、違った意味で自分が試される授業になるので頑張ろうと思う。

支援校のF先生

今日の2限は担任のF先生が非常に喜んでいただけた授業であった。
授業者は自分ではないが…。


…というのも、先生の予想を超えた動きをした班があったからだ。

クレヨンしんちゃんアンパンマンドラえもんが一緒の世界にいる子ども祭り」


また今日は給食の片付けのとき4年生の子がお皿を割ってしまった。普段は腰が重く、それこそF先生よりこっぴどく「6年が動かなくてだれが動くんだ〜」とお灸を据えられていた子どもたち。


で〜も〜、今日は給食を食べ切れていない1人を除いて「パリ〜〜ン!」が音がした瞬間に全員が立ち上がり片付ける姿があった。他学年が騒然とする中、6年のテーブルにはF先生と自分、Tさんと給食をまだ食べているRさんの4人だけが、それこそ「ポツ〜ン」と取り残された。


普段の子どもたちからは想像できないパフォーマンスとガランとしたテーブル状況が異様におもしろく、F先生とともに思わず大爆笑してしまった。


…まぁ〜、その後RTにこっぴどく怒鳴れてしまったが…。


「この子たちにここまでできるなんて本当に嬉しい!」という思いを非常に大きなアクションで表現して下さるので、それを見ている子どもたちも本当に嬉しそうにしている。


私もそれにつられてついつい大きな声で笑っていることが多い。


ストレートマスターのAipさんも「私もF先生みたいになりたい!」と憧れるほど“くげぇ〜”F先生。


そのクラスのお手伝いをさせていただけるだけでも本当にありがたいことであるのに、自分が授業で拙いものをお見せしても「自由にやって!」と笑顔で勇気づけてくれる。


自分がもし女性なら(いかつすぎて、女性になった姿は想像できないが…)、やっぱりF先生のようになりたいと思うなぁ…。


現職の立場でF先生クラスにかかわらせてもらえていることに心から感謝して来週からも支援に望もうと思う。

対話の難しさ

お師匠様が先週ゼミでお話しして下さった言葉。


「教師の力量以上に子どもたちが高まることはない。」
「子どもたちに活動をさせたければ、自分たちがそれを体現できなければいけない。」


これはここ最近ゼミで話題になっている「ダイアログ(対話)による話し合い」についてのご指導だ。


今日、明日の支援の準備をしていたらY小学習班でちょっとしたストーミング(?)が起こった。


たまたま、学習班が全員揃っていたので「どうすれば、みんなで仕事が分担できるか。」について話し合った。


自分としては「対話」…かどうかは判断できないが、どうすれば一人に過度な負担がいくことなく、それでいて全員の思いが尊重できる解決策になるのかを出し合おうと考えながら話していた。


始めは「大丈夫です。」と「みんなでやろうよ。」の言葉がむなしくすれ違う。


少しずつ感情的になっている自分に気付き、少しニュアンスを変えて「どの仕事なら、分けてもらえる?」と聞いてみたり、「3つの仕事の中で、一番優先順位が高くないのはどれ?」と聞いてみたりしていたら、「自分が与えられた仕事はきちんと全うしたい」という本当の思いを聞くことができたので、この中で一番優先順位の高くない算数カルテを3人で分担することで一応の折り合いがついた。


これが対話かどうか分からないが、始めの言葉だけがすれ違ったものに比べると3人の中の最適解が出た気がした。


話をしながら思ったのは、感情が対話へのかなりの障壁になることであった。


経験値の差こそあれ、それぞれが自分の思いを持っている。


それを尊重していくと、特に年功序列の文化色が強い日本では年下の人が「自分のせいで…」とか「自分がきちんとやっていないから…」といった本音を包み隠した言葉がたくさん出てくるような気がするし、自分でも使っている。



そんなお互いの立場や利害関係など多くの差を乗り越えて、お互いの最適解を見つける「対話」するには、自分はまだまだ修行が足りないと思った。


それでも、最後まで話し合いを投げずに本音を話してくれたことは本当に嬉しかったし、ありがたかった。


これで少しは仕事に対する負担感が軽減してくれれば嬉しい限りである。
帰り際に「正直、すごく助かりました。」という言葉に救われた。
本当に感謝。


一応、学習班を仕切る立場をやらせてもらいながらそのことに今の今まで気づけなかった自分の愚かさを反省しつつ、対話の難しさも同時に感じたひとときであった。


少しすっきりしたので、明日の授業準備を再開しま〜す。

反省会…

昨日はY小学校の文化祭を1日お手伝いさせていただいた。
夜の反省会にも参加させていただいた。


今、入らせていただいているクラス担任の先生とお話しする。
腕を引っぱられるように呼ばれたので怒られるのかと思ったら…。



「あんた、本当にY小と大学の院生室以外に出かけるところないの?」と言われた。
本当のことなので「はい。」と答えると、


「そんな生活楽しくないろ〜?」と言いながら真剣に手相を見てくれた。


普段、子どもたちの前で話すことのないことを笑いながら話してくれ、楽しいひとときになった。



6年生は行事やら、なにやらでいろいろと忙しいがそれでも支援に入らせていただけていること。
しかも、今年は去年以上に楽しみながら入らせていただけていることに本当に感謝。



それにしても、楽しすぎてだいぶハメを外した気がする…。
これで飲まないときも「ふつうのヒト」に戻れるかな…。

深夜の衝撃…

2年連続一緒に支援に入らせていただいているhata-sさんは本当にすごい方である。


「すごい方」とは非常に安直な表現だが、このすごさを語ると3時間はゆうにかかるくらい語れてしまうくらいとにかく「すごい方」である。


その衝撃は深夜にやってきた。今日(時間は正確には昨日の日付であるが…)の4年生のクラス会議MAXのビデオを見た。


今日は学級の図工のお手伝いで教室を離れることができなかったこともあり、院生室でビデオを見ることを決めていた。


見始めた時間は遅かったが楽しみにしている録画の番組を見るかのように見入ってしまった。



hata-sさんのクラス会議は、ライブでも、ビデオでもいつもノート片手に自分の気づきやhata-sさんの指導言、指導行動、子どもたちのパフォーマンスなどなど…とにかく目にとまったことやひっかかったことを事細かにメモをするようにしている。


それだけ、hata-sさんの指導するクラス会議MAXは衝撃的で刺激的なのである。


今日のクラス会議MAXはいつもにも増して衝撃的であったし、途中何度も鳥肌が立った。


その中でも特に衝撃が走ったのはhata-sさんのインストラクションであった。


今回の議題は今まで行ってこなかった、個人的な課題が議題として取り上げられた。


彼らは今までみんなの課題を議題として話し合うことが常であったこともあり、議題が上がった後に、子どもの中の一人が「この議題はクラス会議と何の関係があるの?」という質問をした。


それを待ってましたといわんばかりにhata-sさんが介入していき、見事に子どもたちに、個人の課題を議題として話合うことの期待と価値を注入していった。


その言葉はよどみなくそれでいて子どもたちに自然と入っていく。
その様子がビデオからもしっかりと見て取れた。


そのすばらしいインストラクションは思わず、始めに戻して自分のノートにプロトコルを起こしたくらいだ。


そして、インストラクション後の子どもたちのパフォーマンスも相当にレベルが高い。そして、笑顔にあふれていてあたたかい様子であった。


このパフォーマンスや雰囲気を引き出した大きな要因の一つに、hata-sさんのインストラクションがあるように感じた。


ビデオを見終わった後も興奮のあまり、一人そのすごさを大きな声で自己内対話をし(周りに人がいたら明らかに変な人だと思われるくらいだったな…)、それを忘れないうちにブログに書きこんでいる。


本当にhata-sさんの授業は学びが多くてお腹いっぱいになる。


自分はそんなhata-sさんから学びをいただいてばかりであるが、いつかは自分もこんなクラス会議MAXをしてみたいものだと思った。


いつもお腹いっぱいの学びをくれるhata-sさんやそれを見ながら一緒に廊下の踊り場で時間を忘れてリフレクションに没頭できるチームY小のみなさんに感謝しながら家路に着きます。


本当にありがとうございます。


明日のリフも楽しみだな…。

協同学習における個の責任

今日の4限の出来事…この時間は本来なら国語の「平和について考える」の最終の授業が入っていたのだが、この時間までに清書を仕上げてこなければ授業ができないことを予告していたにもかかわらず、半分近くの子どもたちはやってこなかった。


それを知った担任の先生から子どもたちに指導が入った。

まずは、宿題なのにやってこなかったことに対して。

次に、自分たちがやらなかったことを選択したことで、やってきた児童の学習を進めることができなかったことに対して。

そして、指導のために要した時間=やってきた子ども達の学びの機会を奪ってしまったことに対して。


この3点について厳しく指導が入った。


私も、自分自身のこと語るつもりはなかったが、授業者として、やってこなかった子どもたちに自分の思いをIメッセージで伝えた。



今日のこの出来事は、子どもたちに「協同で学習すること」は「それぞれが学ぶことに対して責任をもつ。」という価値を伝える絶好のチャンスであると思ったので、その話もその時に子どもたちに伝えた。


協同で学ぶためにはそれぞれが自分の学びを深める責任と他者の学びに積極的にかかわる責任を負わなければならないと考えている。


今回の一件では、後者の責任が果たされていないことになる。


だから、私は「責任を持って学びなさい。」と最後に子どもたちに伝えた。



結局、担任の先生の計らいで明日の3限に今日の代替の授業時間をいただくことができた。


子どもたちに大きな責任が背負わされた形での明日の授業となる。


明日は全員が清書を済ませて最後の共有の授業ができることを願いたい。