Nちゃん先生の講演ビデオを見て考える

昨日、今日と先日大学に来て下さったNちゃん先生の講演ビデオを見た。Nちゃん先生は「勇気づけ」に関してはお師匠様のお師匠ということもあり、一コマ一コマ止めたり、戻したりしながら見た。



そのビデオで印象に残ったのは「おしゃべりタイム」と共同体感覚についてだった。


昔、アドラーがカウンセリングを行った話ががでカーテン越しにその場で待っている人にも聞こえていて「わたしもそうなのよ。」という声が上がった。それが共同体感覚であると話して下さった。


今まで自分がやっている協同学習で共同体感覚が向上する具体的行為像がイメージできなかったが、このビデオで一つの考えに至った。あとでお師匠様に相談してみようっと!!

自戒…

今日のゼミの最後、先生からのご指導。


その中で一番印象に残った言葉「支援に入っていても、実践に埋没することのないようにすること」


…学習のまとめを視野に入れてのご指導であるが、いまの自分に一番欠けているところ。


明日から、また支援になるがこの言葉を肝に銘じてやっていこう。

[学び]子どもの姿に意識を向ける

今週の学校支援が終わった。今週は中日に陸上大会の引率に同行させていただいた。


台風の影響で大雨にさらされていたせいか、昨日の夜は本当にぐったりとしてしまっていた。


そんな中で考えていたのが「自分は果たして『子どもの姿』に意識を向けて指導ができているのかどうか。」について。


同じ支援校に行っているhata-sさんはいつも意識が「子どもの姿」に向いている。


先週自分の授業の失敗をリフレクションしていたときに、そのことをものすごく強烈に感じた。


そして、今日のクラス会議の授業を参観させていただいてその思いを強くした。
 

口ではいくらでも「子どもたちのため(姿)」と言っていても、その行動が本当に「子どものため(姿)」なのか、「自分のため(姿)」になのかは他の人から見れば一目瞭然である。


だから、時折他の人に見てもらったり、自分で映像を記録するなりしてメタ認知をしなければいけないような気がする。


自分は果たして「子どもの姿」にどのくらい意識を向けることができているだろうか。


今、自分がやろうとしていることは本当の意味で「子どもの姿」を意識した実践なのかどうか。


いつも問い続けていかないとな…。

[学び]今日の至言・金言

今日の支援後に院生室に戻るとおっ師匠様がやって来て熱く話してくれた外交官・北川達男さんの言葉。
「多様性民族の中で、最も根本な合意点は人間であることだけだ。だからこそ、話し合いによって互いに共有できる価値観を探していく。それが『対話』だ。」

今日のおっ師匠様の話を聞き直して俄然興味がわいてきた。
ぜひ読んでみたいなぁと思う。

ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生

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対話流―未来を生みだすコミュニケーション

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今週の支援

今週の学校支援で、昨日お師匠様が授業見に来て下さった。


昨年度は算数での授業を見ていただいたが、今年は国語であった。


普段の授業を見ていただけると思うと少し緊張した。


この日の授業は文章構成から筆者の説明文をもとに筆者の主張について考え、自分の言葉でまとめていく授業を行った。個人思考からグループ学習、全体の発表といういつもの授業の流れではあったが、グループ学習で会話がなかなかまとまらず授業時間を超過してしまうことが課題であった。


児童たちはこの学習に慣れているためにこのやり方に文句は言わないが、やはり自分飲み込みが甘いところが多くあるのだと思う。


次週からいよいよ、「意見文を書く」という単元の中心的学習活動に入っていく。


もう一度自分の授業プランを練り直して次週に望んでいきたいと思う。


お師匠様からの指導
○今日の学習は「筆者の主張を自分の言葉でまとめる」活動であったが、児童はなぜ自分の言葉でまとめる必要があるのかを理解していなかった=必要感がない。


○授業の中に①学習課題②学び方の課題③指導事項の3点を児童に提示していたが、授業後にそれを振り返ルためのインストラクションが必要。


○学習課題は、具体的行為像で児童にイメージしやすい形で提示すること。「〜について考えよう」も具体的ではなく見取りようがないので課題にはならない。課題はできるだけシンプルな方がよい。

支援リフ

今日は支援校からの帰りが遅くなり20時半頃院生室に戻ってきた。


今日は自分の授業内で協同することの価値を語った。


その語りが周囲にどう映ったのかを知りたくて、学校にいる内にhata-sさんに指導をいただく。


語りはじめの第一声が抽象的だったので、子どもたちには「協同することの良さを見つける」ことが難しかったようだ。


ここは、自分の見込みが甘かった部分である。今後これを語るときには再考が必要だ。


また、子どもたちに論理的結末を考えさせておさえようとしたが、それも実際のところ、子どもたちに落ちたかどうかの実感はない。


これを続けることで、子どもたちが協同することの意味に立ち返りながら学習するようにしていきたい。


それ以外には、働きかけの「認知」「行動」「感情」と動機づけの大きさの「期待×価値」がどこでどのようにかかわるのかを議論した。


hata-sさんは「認知≒価値」と捉えていた。


自分はその話を聞き、価値の注入は「認知」「行動」「感情」を包括するものなのでないかと考えた。


どちらが正しいかは分からない。


もしかしたら、もっと別のものがあるのかもしれない。


院生室に戻ってきてから、乾いたスポンジのごとく支援の学び吸収率No.1のa1さんにその話をした。


すると、一緒の学年に入っているhata-sさんのクラス会議の授業を例に、価値を注入するのは何も認知に訴えうるところからだけではないのではないかという話をしてくれた。


なるほど、そういうふうに考えると、価値の注入はやはり「認知」「行動」「感情」を包括するものなのかな…。


とにかく、支援日誌も書かずにそのおしゃべりに没頭していた。


支援中なのに、とても楽しい時間だった。こういう時間を支援中もたくさん持っていきたいなと思う。

系統主義と経験主義

先日の模擬授業対決の話。


自分でも本当にひどい授業であったなと今でも思う。


懇親会の席でH先生からは「君の授業は経験主義9:系統主義1なんだよ。だから、あれではいけない。」とお話しいただいた。
 

そんなH先生の講座は戦後教育の変遷をたどりながらも、これからの教育の道筋を示すお話であった。本人は講座中「今回の講座は退屈だから眠くなりますよ。」と言っていたがまったくそんな要素はなかった。すさまじい情報量を端的にまとめていたお話であった。



そのお話出てきたのが「経験主義」と「系統主義」。今巷で行われている指導法はこの2つの考え方に大別される。



ちなみに、私が勉強している協同学習は「経験主義」なのだそうだ。



こうして2つに大別するとどの指導も必ずどちらかに偏っている。



ということは、1つのやり方しか知らないということは、すなわち、経験主義か系統主義に寄った指導しかできないということである。



もちろんどちらかのみが正しくて、どちらからか正しくないというわけではない。大切なのはこの2つの比重だそうだ。



ちなみに、おっ師匠様は6:4と非常にバランスがいい数少ない先生のお一人なのだそうだ。


自分でもそこまでたどり着けるのだろうか。いやいや、今よりももっともっと指導力・授業力を身に付けていきたい。


でもこのイベントが自分の今後に大きな示唆を与えてくれたことは自分にとっては本当に大きい収穫であった。


第2弾Hインフルエンザにかかり、ここ2〜3日はそんなことばかり考える日々が続いている。支援でもそれがクリアになるようにしっかりと考えていきたい。